後世への最大遺物

2015年に静岡県掛川市で起業した一人社長のBlogです。日々の雑感や経営の話など。

シンクタンク研究員ライフの総括:三菱UFJリサーチ&コンサルティングを退職しました

本日2015年4月30日を以って、三菱UFJリサーチ&コンサルティング株式会社を退職しました。

シンクタンクの研究員として経験したこと

2010年4月に新卒として入社、政策研究事業本部(大阪)研究開発第2部地域政策研究グループに配属となり、主に地方自治体や中央省庁をクライアントとした受託調査研究を行ってきました。

ざっと振り返ると、総合計画をはじめとした産業/文化振興ビジョンなどの各種計画策定支援といった王道ものから、産業連関分析、シティセールス、企業誘致、スポーツビジネス、公共施設再配置、宗教、生物多様性まで、さらに教育関係では博士人材キャリアや小中一貫教育などなど…5年で計60本超のプロジェクトに参画しました。

テーマは毎度異なれど、幅広い情報を集めて編集し、まだ世にないデータを作り、その分析を踏まえた施策を提案し、レポートにまとめて記録していく、という手法は概ね共通するものであり、そのスキルはこの5年でかなり鍛えられました。

5年とちょっとという短い間でしたが、クライアント、先輩、同僚、後輩に恵まれ、フツーの会社員の10年分くらいの経験はさせてもらったのではないかな、と思います。

そもそもシンクタンクに入ってやろうとしたこと

僕がシンクタンクに入った理由は、外国人が暮らしやすく活躍できる社会、もっと言えば国籍、民族、出自、性別にかかわらず機会のあるフェアな社会をつくりたい、そのための政策を提言していきたいと思ったことでした(そう思うようになった理由はまた別の機会に)。

そんな話ばかりしていたにもかかわらず何故か採用いただいたのですが、結局入社1〜2年目のときはただただ目の前の仕事に忙殺されていました。

特に2年目の年度末には、睡眠時間=移動時間のみ、みたいな日が続き、15分に1回くらい「この報告書を納めたら辞めよう」と思いながら過ごしていたのですが、「なんで僕この会社入ったんだっけ?」という初志を思い出して、3年目から外国人関連分野の仕事を積極的に開拓するようになりました。

また、先輩、会社から応援してもらいながら、2013年、2015年にシンポジウムを開催し、2014年6月には「外国人活躍推進室」という組織を立ち上げました。

www.murc.jp

www.murc.jp

こうした自主的な取組が功を奏し、広島県や九州グローバル産業人材協議会、読売新聞などから講演のご依頼をいただいたり、取材を受けたりと、外部でもお話させていただく機会に恵まれ、自治体や国からの受託業務としても、国際化推進プラン改訂、留学生ネットワーク組織の運営、留学生の就職支援等の仕事に携わることができました。

thepage.jp

振り返ると、総じて充実した研究員生活だったとしみじみ感じます(もちろん周囲にご迷惑をおかけしたことも数えきれないほどですが…)。

そしてこれから

今も入社前に志向していた、めざす未来の社会像に変わりはありません。

これからは、外国人をはじめとしたマイノリティにチャンスが担保されるフェアな社会の形成に向けて、政策研究とは異なる形でアプローチしていきたいと思います。

具体的には、5月より故郷の静岡県掛川市に拠点を移し、本格的に起業に向けた準備を始めます。

当初は日本茶EC事業をはじめ、日本茶の販売を通じて「IPPUKU」文化の国内外への発信に取り組みます。

また、海外への発信に際しては、来日している留学生の力を借りつつ、将来的には事業を拡大し、日本に暮らす外国人の方が活躍できる場をつくっていきたいと考えています。

なお、日本茶ECサイトは6月1日オープンを目標に準備しておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。ぜひお買い上げを。

 

本当に諸先輩方や会社には感謝の気持ちしかなく、与えられたものに対してまだまだお返しができていないまま離脱するのは心苦しくもあります。

入社前から手取り足取り面倒を見ていただき、仕事のいろはを学んだボスからも「いつか、あの会社の社長は僕の後輩なんだよ、と自慢できるような会社をつくれ」とエールをいただいておりますので、そんな恩返しの仕方をしていきたいと思っています。

 

本当にありがとうございました。

遠くにいても僕のことがわかるように、もっとでっかくなっていきたいと思います。

今後ともどうぞよろしくお願いします。