感想戦:瀧本哲史『読書は格闘技』
エンジェル投資家である瀧本哲史氏の新刊『読書は格闘技』をジュンク堂書店池袋本店にて購入、そのまま近くのCOFFEE VALLEYにて読了しました。
本記事はその「感想戦」となります。
「読書は格闘技」とはどういうことか
イントロダクションで著者は読者に「あなたは本をどのように読んでいるか」と問いかけます。
そして本の読み方が多様であることは認めつつ、「読書は格闘技」であることを強調しています。
書籍を読むとは、単に受動的に読むのではなく、著者の語っていることに対して、「本当にそうなのか」と疑い、反証するなかで、自分の考えを作っていくという知的プロセスでもあるのだ。
『読書は格闘技』の構成
本書ではこうした考え方に基づき、「心をつかむ」「組織論」「正義」などのテーマそれぞれについて、異なる視点から書かれた2冊の書籍を紹介し、比較検討しながら「格闘技としての読書」の実例を示していく、という構成となっています。
それぞれのテーマについて紹介される書籍の多くは、ビジネスパーソンであれば「書名は見聞きしたことがあるが読んだことはない」のではないかと思われるものが多く(私は概ねそうでした)、その概要を簡潔に紹介してくれているため、それだけでも十分に興味深い内容となっています。
しかし、本書の主な目的はそこにはなく、瀧本氏が2冊の書籍と格闘する思考プロセスをトレースすること、そして自身が第3勢力としてその闘いに加わっていくことにあるのです。
率直な感想
「本書の主な目的はそこにはなく」と書いた直後ですが、「書名は見聞きしたことがあるが読んだことはない」良書について概要をつかむことができ、勉強になったなあ、というのが率直な印象でした。
ちなみに、紹介されていた書籍で私が読んだことがあったのは『武器としての決断思考』『年収は住むところで決まる』『タッチ』『山月記』のみ。
曲がりなりにも起業家ですから、テーマ「心をつかむ」の『影響力の武器』『人を動かす』、テーマ「組織論」の『君主論』『ビジョナリー・カンパニー』くらいは格闘しながら読み、その上で自分の血肉としなければならないなぁ…と強く感じた次第です。
『読書は格闘技』との格闘
さて、読書と格闘することを薦める『読書は格闘技』、その実践として本書そのものにも自分なりの検討を加えるとしたらどのようなところでしょうか。
純粋に娯楽としてフィクションを楽しむといったシーンを除けば、「本当にそうなのか」と考えながら、書物と格闘しながら読む、ということ自体は読書の効用を高めることとして非常に重要だと思います。
この点においては著者の主張に何の異論もありません。
ですので、自分なりの考えをプラスするとすれば、その具体的な読み方という部分にあるのではないかと思います。
自分なりの格闘スタイルを
自分自身について言えば、こうした「格闘技としての読書」を意識的に行うようになったのは、大学で卒業研究に取り掛かった時からでした。
研究法や調査法に関する本を読む中で、先行研究論文を批判的に読む「テキスト・クリティーク」という考え方を知り、手探りで実践した記憶があります。
シンクタンク入社後も、新しいテーマについて調査する際には、主張が異なる書籍を最低4〜5冊は購入し、比較検討しながら基礎知識を頭に入れておくといったことを習慣的に行っていました。
しかし、こうした「格闘する読書」は非常に思考体力を使います。読み進めるのがつらくなり、読む速度もかなり低下します。
本を読むのは小さな頃から好きだったのですが、こうしたことを続けていると読書行為そのものが快適でなくなってしまいました。
そこで、試行錯誤しながら本の読み方を以下の通り変えました。
- 研究・検討対象のテーマについて、異なる主張の書籍を数冊ピックアップする
- はじめはそれぞれの書籍の主張を無批判に受け入れて読む
- 数冊の書籍での共通点・相違点、自分が同意する点・違和感を覚えた点を書き出す
- その上で各書籍の主張のソースを確認する、反証を試みる
かなり時間も労力もかかるため、正直なところ最近はここまで厳密には検討していませんが、重大案件を検討する際などはこのようなプロセスを採用しています。
常に批判的な視点を持って読み進めるというスタイルもありますし、瀧本氏はそちらを推奨されるかもしれませんが、それが肌に合わない場合は、まずはじめは「素直なバカ」になったつもりで読むのもオススメです。
おわりに
感想戦は以上です。
瀧本氏の『読書は格闘技』であるという主張をベースに自分なりの闘い方を改めて考え、整理することができました。このような読書体験を提供してくださった瀧本氏に感謝を。
最後に本書のあとがきから心に響いた一文を引用します。
読書を通じて、知識が増えて、それが何らかの判断に役立ち、行動の変化が起きたときに、最も読書の価値が生じたと言えるだろう。その時初めて、読書が「世界という書物を直接読破」する旅の地図となるのだ。
私自身、一人の起業家として「世界を直接読破した人」になることを目指しています。
まだまだよちよち歩きではありますが、書物という「世界地図」に自らの発見を書き込みながら、旅を続けていきたいと思います。
…ちょっとポエミー?