逡巡
今日は大学時代からの親友の結婚式だった。
本当におめでとう。
披露宴と、その後に十年来の親友たちと呑んで触発されたので、少し青臭い話をする。
今にして思えば随分と傲慢だった。
「自分は何者にもなれるし、何でもできる」と考えていた学生の頃。
就職活動をする時に考えていたことは「自分の才能を社会のどこに配置するのが世の中にとって最適なのか」ということだった。
卒業後、民間シンクタンクに入社した僕は5年の歳月をそこで過ごした。
幸いシンクタンクの仕事は僕に向いていたようで、有り体に言って優秀な若手研究員だったと思う。
会社の看板と資金をフルに活用し、新しいプロジェクトも立ち上げた。
その時、僕は会社の力でできたことを自分の力と勘違いしてしまった。
もっと自分の力と時間を自由に使える環境に身を置いた方が社会のためになるのではないかと考えた。
2年前の4月いっぱいで退職し、自分の会社を興した。
しかし、起業してからというもの、たくさんの、本当にたくさんの失敗を積み重ねている。
果たして起業という選択肢が本当に正しかったのか、まったく自信がない。
今は、有り難いことに、たくさんの人に助けられながら、目をかけてもらいながら、その支援のおかげで首をくくらずに済んでいる。
けれど、起業してからの2年強、胸を張って誇れるような実績を一つもつくれていない。
根拠のない自信は時限のあるものだったか、いつまでも根拠がないままでは苦しく、揺らぎ始めている。
自営業、起業家というのも一つの働き方でしかなく、そのこと自体に価値があるわけではない。
自分には経営者は不向きで、どこかの会社の専門職として生きる方が合っているのではないか。
その方が自分の能力の活かし方として、社会のためにもなるのではないか。
二度目の決算を終えてからここ最近、そんなことをぐるぐると考えている。
30歳を過ぎ、友も皆それぞれの道を進んでいる。
もちろん僕の知らない迷いもあっただろう。一人で耐える夜もあったろう。
それでも彼らはめざすべき道を一歩一歩、着実に歩んでいる。
そんな友に恥じぬ人生を歩みたい。
自分に何がどこまでできるのか。
壁にぶつかるまで走ってみないことには、自分の枠がどこにあるのかすらわからない。
もう僕も来月には31歳になる。
そろそろ見極めねばらならない時期か。