後世への最大遺物

掛川市を拠点として日本語オンラインレッスン・PR支援事業を営む株式会社あらまほし代表取締役・戸田のBlog

「素晴らしき哉、人生!」

フランク・キャプラの『素晴らしき哉、人生!』(1946・米国)を久しぶりに観た。

ここ数ヶ月、事業面で精彩を欠く日々が続いており「なんか元気が出る映画、観たいな…」と思ったときに真っ先に浮かんだのが同作だった。

あらすじ

自分の夢を追いながらも父親の急死に伴い家業の建築貸付組合(B&L)を継いで田舎の小さな町で過ごさざるを得なくなっていたジョージ・ベイリー(ジェームズ・ステュアート)は、町一番の富豪である銀行家ポッター(ライオネル・バリモア)の圧力に負けず、真面目に働いていた。

家庭にも恵まれて、事業も好転しつつあったが、そんな彼に不運な出来事が起こる。

そして、クリスマスの晩に自殺を図ろうとした彼に、翼をまだ持っていない二級天使のクラレンス(ヘンリー・トラヴァース)が翼を得るために彼を助ける使命を受け、現れた。

天使は「生まれて来なければよかった」と言う彼のため、特別に彼が生まれて来なかった場合の世の中を見せる。そして彼がいかに素晴らしい人生を送ってきたかを理解させようとする。

Wikipedia先生のあらすじが少々物足りないため、以下補足。

ジョージは、世界を旅し、大学に行って都市計画の仕事をしたいという大きな夢を持つ青年だった。しかし、まちのために、父の遺志を継ぐためにジョージはその夢を諦めて家業のローン会社を営むことになる。

彼の人生には何度も逆境が訪れ、その度に彼はなんとかそれを乗り越えるのだが、クリスマス・イブに資金を紛失するという出来事が起こり、保険金でその資金を賄うために自殺を決意する。

そんなとき、二級天使のクラレンス(天使といっても冴えないおっさんである。これが美少女だったら日本でももっと普及してたかもな…)が現れ、「ジョージが生まれてこなかった世界」を見せ、ジョージは、自分の何気ない行動が、如何に人々に、まちに影響を与えていたかを知ることになる。 

事業家として心打たれるジョージの一生

初めて観たのは学生のときだったと思うが、自分で事業を営むようになった今、より一層主人公であるジョージに感情移入してしまった。

この映画は、クラレンスがジョージに自分のいない世界を見せて、人生の素晴らしさに気付かせる、というところが主題であり、一般に語られることが多い。

しかし、実は上映時間のうちかなりの部分を占めるのはクラレンス登場前、ジョージ・ベイリーという男の一生を描く部分なのである(その部分をしっかり描かないと「ジョージのいない世界」に説得力がなくなってしまうからであるが)。

そして、このジョージという人間の生き様には、一人の人間として、起業家として胸打たれるところが多い。

ジョージが欧州旅行に旅立つその朝に、彼の父が倒れ、彼の冒険は中止せざるを得なくなる。

父の死後、銀行家のポッターにより会社を廃業させられようとすると、家業を守るため、いやそれ以上に貧しい人々が自分の家を持つために金を貸す、という父の遺志を継ぐために、大学進学を諦めてローン会社の経営をすることになる。

そして、ジョージは長い年月をかけて、多くの人々(特に労働者階級)が家を持つことができる社会をつくり、まちを、コミュニティをつくっていく。

こうして、ジョージはローン・ビジネスを通じて、貧しい人々が自分の家を持ち、幸せな家庭を築く権利を守っていくのだ。

事業を通じて社会に貢献したいという熱を持つ事業家(一応、僕もそのポジションのつもり)にとって、こうしたジョージの一生をトレースするというだけでも、この映画を観る価値がある。 

No man is a failure who has friends. 

クラレンスに「自分の存在しない世界」を見せられた後、ジョージは本来の世界に戻ると、自分が歩んできたその人生の素晴らしさを知り、人々を、世界を祝福して回る。

そして、ジョージが自殺を決意するまでに思い詰めた資金の紛失についても、これまでジョージが助けてきたまちの人々が大勢詰めかけてカンパし、難を乗り切ることができた、というシーンで映画は終わりに向かう。

この、これまでジョージが手助けしてきた人々が、「今度はオレたちがジョージを助ける番だ!」とばかりに次々とカンパしていくシーンが個人的にめちゃくちゃ泣ける。

感受性が乏しいので映画とか見ても全然泣けないんだけど(これまで映画観て泣いたのって『ニュー・シネマ・パラダイス』とドラえもんの『おばあちゃんの思い出』くらい)、このシーンは堪え難い。

それでも僕は「素晴らしき哉、人生!」と叫ぶ

もちろん現実には自分ひとりがいなくなっても世界はほとんど変わらないかもしれないし、最後のカンパで事業が立ち直るといったのはご都合主義的でもあり、こうした甘ったるいハッピーエンドは「キャプラ・コーン」などど揶揄されることもある。

しかし、僕は、映画だからこそ、こうした理想を、希望を見せていく必要があるのではないかと思う。

そして、自分自身がこうしたキレイ事(芝村ティックに言えば「ファンタジィ」を)体現する存在でありたいと願っている。

というわけで、また僕もジョージに負けじと人々の役に立つ事業をつくり、素晴らしい友と素晴らしい人生を歩んでいきたいと思う。

 

素晴らしき哉、人生!